「多摩大学同窓会リレーメッセージに寄せて」 鴨川 美紀(14期生)

 暑い日が続く。先日、多摩大学OBが北京オリンピックに出場するという事を知り、とてもうれしくなった。多摩大学は小さな大学だけど、オリンピック選手もいる。そんな多摩大学がすごいと思う。その方は、女子サッカー日本代表の原歩さん。面識はまったくないが、この暑い日本から、なでしこJAPANの原歩を応援したい!

 多摩大学を卒業して、2年5ヶ月がたった。時がたつのばかり早く、まったく成長していない自分に、そろそろ焦りを感じている。「まちづくりの専門家になる」という夢に向かって、右往左往の日々の私が、しっかり前を向いて活躍している皆さんに混ざりこのようなメッセージを担当するのは、場違いのような気がしている事を、はじめにこっそり伝えておこうと思う。

  ・仕事のこと
今、私は二つの仕事を持っている。一つはお給料をもらっている仕事、もう一つはお給料をもらっていない仕事(趣味仕事と呼んでいます)。
前者では、都市防災を専門とする調査とシステム開発を行う会社で、私は調査業務とシステム開発スタッフとして働いている。主に内勤だが、行政や専門化向けのサービスを提供している関係で、外に出て仕事をすることもあり、また、直接住民の方と同じテーブルで議論をするワークショップ等のお手伝いをさせてもらったりしているため、地域の中に入り、まちづくりの現場も垣間みて、自分の目指す職能の必要性や、やりがいを感じている。
趣味仕事では、2006年に多摩地域のまちづくりプロジェクト団体「アーティストリンク多摩(ALT)」を同世代の友人と設立し、音楽イベントの主催(ミュージックオン多摩)とビッグバンド(多摩スイングジャズオーケストラ)の運営をメインにして活動している。
「多摩市を過ごしやすい楽しいまちにしよう!」とがんばっている商店街や事業者、NPO、行政や同じ市民活動団体の方々と出会い、協力しながら、ひとつずつゆっくり、実績を上げ、地域でも認知されつつある。この活動は、何よりも、同世代で同じく二つの仕事をもつ仲間達と切磋琢磨しながら、地域に関わっていく事が楽しい。
 なぜ、このような生活を選んでしまったのかは、大学時代の生活によるところが大きい。それぐらい、大学時代のすごし方は、仕事に影響するものだなと感じている。あまりお勧めできない生活だが、私にはこれしかないとも思うし、自分にしか出来ないことだとも思える。大変だけど、頑張れる二つの仕事に出会えてよかったと現時点では感じている。
今後もより高いスキルや経験を積み、都市づくり、まちづくりに貢献できる職能を身につけていきたいと考えている。

・多摩大学で学んだこと
 私は大学に進学するにあたって、家業の助けとなるべく経営を学ぶことと、小さなころから柳が丘という団地コミュニティ(市街地から離れたところに造成された小さなニュータウン)の中で育った環境から、コミュニティの役に立つ活動をすることを学びたいという思い、そして、できれば大好きなアニメーション作品である『耳をすませば』の舞台とされている多摩市に住みたいという希望から、経営が学べて、望月先生、斉藤先生という都市計画家がいて、多摩市聖ヶ丘4-1-1にある、多摩大学にやってきた。経営学は予想通りの学問で、取り組みやすかったが、都市計画を学ぶにはちょっと間違ったかと思った。そんな中で、都市マネジメント、コミュニティビジネスという領域に出会う事ができたのは、望月先生のおかげである。
 大学生活において一番力を入れたことは、ゼミ活動と地域活動であった。ゼミ活動では望月照彦先生と素敵なゼミ仲間たちに出会い、表現力と創造力を身につけ、そしてなにより親愛なる友人ができた。
 地域活動においては、生活者ネット主催の「政策ゼミ」や、多摩市多摩センター活性化推進室主催の「tamatamatamaビジネスプランコンテスト」、多摩大学大学院主催の「コミュニティビジネス研究会」等への参加において、多摩で活躍する方々や他大学の学生と出会い、地域活動の魅力ややりがいを改めて感じ、まちづくり活動の基盤を作ることができたと思っている。
そして、平成17年度の夏には、大学のゼミ活動と地域活動が合流する形で、『耳をすませば10周年記念イベント』のプロジェクトに関わることができた。

 この、「ゼミ」、「地域活動」それが一つになった「イベント」3つで得た経験が、今、人生の基盤になっている。この発端のすべては多摩大学。多摩大学に出会わなかったら、そんな人生は想像したくないほどつまらないものになった気がする。
最後に、お世話になった多摩大学と同窓の皆様の益々のご発展を祝してー。