第2回「多摩大学を『特流』にしてみせる!まずトイレから…」 

白倉 正子(4期生)


「私が多摩大学を、『特流』にしてみせます!」
父親にこう言い放ったことがある。多摩大学を受験する数ヶ月前のことだった。
当時はまだ3期生しかいない無名の大学だった。でも、「成績不振者への退学勧告」などの斬新なシステムや、「社会に通用する大学を目指す」という大 学理念に一目惚れした高校3年の私は、時代を切り開く未来を感じ、受験の意思を伝えた。すると「無名の三流大学にか?」と一笑された。田舎暮らしの父だから無理もないが、「実績が無い=三流」と決め付けた一言を、私は聞き流せなかった。
ところで「一流大学」の基準って何だろう?たぶん「伝統がある」「規模が大きい」「優秀な卒業生や研究成果を多く輩出している」等が思い当たる。ならばいわゆる「二流・三流の大学」は、実績があっても与えた社会的インパクトが弱かったから、イメージが固定化されたのであって、出来たばかりの多摩大学はまだ真っ白のはずだ。ならば特別な実績を出してやろうじゃないの!だから「一流でも二流でもない、「特流」を目指す」ととっさに言ってしまった。父は「調子の良い事を言いやがって…」と呆れていた。
そのためには、一体、何をすればいいか?・・・・
そうだ、ユニークで社会に役立つ起業をして「多摩大学卒」の肩書きを前面に出してはどうだろう?
そう決意すると、有名大学へのコンプレックスがすっと消え、下から上に這いあがる面白さを感じ、燃えた。在学中は、既成概念に囚われるとマイナスになるほどの、新しい考えを学べるゼミや講義に積極的に参加し、知的好奇心をぞくぞく刺激させた。
こうして私は、卒業論文で取り上げた「トイレビジネスの可能性」を具現化しようと、トイレにまつわる新事業を構想する企画会社を、卒業直後に起業した。【どうしてトイレに興味をもったのか?については、著書「私の人生は『トイレ』から始まった!」(ポプラ社より発売)を参考にして頂きたい】
ドシロウトの私が、学校も教科書もないトイレの知識を学ぶのは独学以外にない。最初は素手でトイレ掃除をする事から始めた。でも面白かった。誰もやっていない事を開拓する快感がたまらなかったからだ。そんな私を多摩大学の恩師や仲間たちは「お前らしく、やってみろ」と、応援してくれた。多摩大学魂というのは、無謀ともとれるチャレンジを、両手を広げて真正面から受け入れてくれるところではないかと思う。おかげさまで現在は、講演・執筆・イベント企画のほか、マスコミ等でトイレ評論家としてコメントを求められる事も増えた。プロフィール欄に「多摩大学卒」と書かれると、心の中でガッツポーズ!今では父も「無からよく作り上げたもんだ」と近所に自慢しているらしい…。
卒業から10年が経過した。時々ゼミのOB会等に参加すると、何人もの「起業家」と出くわす。歴史の浅い少数精鋭の大学から、一挙に多くの起業家を輩出している大学は、世界でも希少だろう。これこそまさに「特流大学」としての新たな基準を、世に問いていると言えるのではないだろうか?
でも「特流」は一人では作れない。
この「流れ」を、もっと多くの卒業生や在校生らに、加速してもらいたい。

<プロフィール>
白倉 正子(4期生)(新姓:越川)
アントイレプランナー
1973年群馬県生まれ。92年に多摩大学4期生として入学。在学中は望月照彦ゼミ・柳孝一ゼミ・サザンクロス(演劇サークル)に在籍。96年4月、卒業直後に「トイレ企画会社22(現:アントイレプランナー)」を創業。NHK「青春メッセージ98」全国大会出場。日本トイレ協会会員。横浜市の在住。二児の母。著書は「私の人生は『トイレ』から始まった」(ポプラ社)。夢はトイレのデパートを作ること。
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http://entoiletplanner.com


第1回「天国の門馬先生と尾高先生へ」 

鈴木 信夫(3期生)


 

前略

突然のお手紙で失礼します。3期の鈴木信夫です。
天国での生活は如何でしょうか?。門馬先生。天国には、「オールド・パー」はありますか?。尾高先生。こちらでは、キャスターのラベルが変わって、へんなのになっています。
お二人には、本当にお世話になりました。勿論、現在でも、柳孝一先生や、国津信博先生にもご指導いただいていますが、今回は、リレー・メッセージなんてものを頼まれまして、色々考えたのですが、先生方の思い出をお手紙という形で書くことに致しました。どうぞお許しください。

さて、尾高先生は、僕の入試(自己推薦)での面接官であられましたね。?もう一人の先生は、杉田先生でした。間違いないっす。面接の途中で「お前面白いから、学長に会ってみるか??。」と、聞かれたときにはビックリしましたが、小走りに面接会場を出られて、呼んできて頂いた時の感動は、忘れることが出来ません。僕は正直申しまして、「とんでもないところに行こうとしているのではないか?」と、思ったくらいです。大学の先生なのに、なんと言う行動力。そして、なによりも、本当に学長にお会いすことが出来るなんて、、、。自分中で、常識というものが一つ壊れていくことが解りました。そして、お世話になりたいという気持ちで一杯でした。そんなこんなで、思いは叶いまして、お蔭様をもちまして、多摩大学で学生生活を送ることが出来たのですが、僕は、あまり勉強が出来ませんでした。それなのに、柳先生なんて受けるものですから、みんなに落ちるであろうと言われ、自分でも思い、落ち込んでおりましたら、「どこも行くところが無くなったら、俺のゼミに来い。鍛えてやる。お前を面倒を見る責任が、有るからな!」なんて、声をかけていただいたのが、本当に嬉しかったです。タバコを吸いながら本当に、ニコッと笑われる顔が忘れることが出来ません。

また門馬先生は、授業があまりにもつまらなくて、「レポート出すので授業を出なくてもいいですか?」なんて、今から考えるととんでもない提案をしにいったとき。(あの時が、初めてお話したときでしたが)先生は、快諾して下さいまして、「必ず月に一度は、進捗状況の報告をすること。それと、中間報告書は、3ヶ月に一度出しなさい」と、仰ってくださいました。進捗状況なんて言われてドキドキして教授室に伺ったら「とりあえず飲みにいくぞ!」と、毎回ベロベロになるまで呑み、そして、18番のカラオケに付き合わされたのを今のことのように覚えています。結局2年間で2回しか授業は出ませんでしたが、中間報告書を提出するたびに、お題をいただき、新聞検索からはじまって、都立や国立図書館。終いには、他大学の図書館などに、行かなくてはならず大変な想いをしました。授業のほうが楽でした。正直失敗しました。 でも、物事を調べる姿勢や問題意識を持って、真実に行き着こうという探究心みたいなものをご指導いただいた気がします。そういえば、野田一夫先生に、僕がすごく注意されて、学校を辞めようかと悩んでいたときに、尾高先生もご一緒に、ご馳走になったのを覚えています。 僕が怒られた理由や、問題点の一つ一つ諭してくださった尾高先生に対して、「どうせ、今朝、奥さんと喧嘩したんだよ。お前に当たっただけさ。さあ、呑め。」そんな、理論の欠片もないコメントをしてくださった門馬先生は、最高でした。!

尾高先生の授業は、いつも楽しかったです。それは、いつも「実際には、、、。」なんて、実務の話をされていたからです。まだ出たことの無い社会に対して 恐れと、希望を持っていたころでしたから、本当に楽しみにしておりました。しかし、「まあ、お前に、管理とか経理とかは無理だね。諦めて、他の勉強しなさい。」なんて、悲しいことを言われたのを覚えていますか?。その前に、全く同じことを国津先生にも言われて、ショックだったんですよ。こんな僕でも、傷つくことも有るんです。

先生方は、驚かれるかもしれませんが、僕は、今、家業を継いで商売をやっています。尾高先生に、「向かない」と、はっきり言われた事柄も、時々先生の教科書を開きながら実際に判断することも有るんですよ。勿論、あんまり向いていないとも思いますが。。。。。門馬先生に、いつも真っ赤になるまで添削されていた僕が、こんな文章を書くようにもなったんですよ。本当に、自分でも信じることが出来ません。

多摩大学に憧れ、夢を持って入学したぼくは、友人達や、先生方の変わらぬご指導を頂きながら、いまもがんばっています。失敗することも多くてお客様や、仲間に助けられてなんとかやっているといのが実際ですが。よくよく考えますと、それは、今も昔も変わらないかもしれません。勿論僕は若いですから、まだそちらのほうには、伺うことが出来ません。現在僕は、夢や希望に溢れております。今の僕は、多摩大学で学んだこと「斜に構えないで真正面から向き合う心」「自らの手で開拓しようというチャレンジ精神」等が、未だに僕の心の中にあります。もしかしたら僕は、授業の内容より、余談やお酒の席で話してくださった事柄ばかり覚えているかもしれませんが、それが、僕の力になっているような気がしてなりません。

僕は、先生方の学生でよかった。多摩大学の学生でよかった。お二人に会えて、本当に良かった。と、心から思っています。 でも、時々、辛いこともありますし、参ってしまうこともあります。 本当は、また、呑みに連れて行って欲しいです。。。。

最近、多摩大学を卒業して独立起業している友人と語っているときにこんなことを彼が話してくれました。それは、「商(あきない)にも道が有るのではないか?」と、いうことです。沢山の流派や流儀が有るわけですが、柔道や剣道といった武道のように、 極めようとすれば、そこには、人生の全てをぶつけるだけの深さが有る。そして、それに気づかせてくださったのが、多摩大学だったのではないかと。基本を教わったのが、多摩大学であったのではないかと。僕らの流派は、多摩大なわけです。僕は、友人の意見に賛成です。僕は、自らの信じる道を 「商」を通して、極めて行きたいと思います。人生をかけて。!

今度、天国でお会いしたときに、怒られない様に、僕は、こちらの世界で多摩大学の卒業生として誇りを持って、胸を張ってがんばって生きたいと思います。

遠くから、応援していてください。お酒を呑みながら、タバコをふかしながらで、結構ですから。!!!

僕は、まだまだ、がんばります。
それでは、失礼します。

草々

レポートのみの履修は現在多摩大学では認められていません。
現在多摩大学では館内禁煙になっています。
当時の多摩大学らしさを尊重する為、原文のまま掲載致します。

第1回「天国の門馬先生と尾高先生へ」
鈴木 信夫(3期生)
2006年9月

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