「僕も明日死ぬかもしれない…」
高校3年の冬、クラスメートの突然の死の報に打ちのめされました。とても仲の良いクラスで、彼女はクラスの中でも一際輝く存在でした。そう、当時の僕が月なら彼女は太陽のような存在でした。高3の僕は人の死というものに直面し、恐怖と焦りを感じました。しかし十代という年齢からでしょう、それだけでは留まりませんでした。
「彼女の無念を晴らすためにも、『死ぬ気』で精一杯生き抜きたい!」と、当時の僕は思ったんです。
そのためには「自分の好きなことをやらなくては、今すぐに!!」
今まで深く考えてこなかった分、自分は何が好きで、何が嫌いか、頭をフル回転して考えました。そして「自分は子供が好きだ!子供に夢を与えるような仕事に就きたい!」という、とりあえずの答えを導き出しました。そして教師か?、声優か?という、具体的な職業の2択にまで絞込み・・・全く未知の職業「声優」という道をチャレンジすることに至るわけです。
当然、烈火の如く親の反対に遭いましたが、大学受験は途中放棄せず受験することと、青二プロダクション俳優養成所「青二塾」という、業界でも最難関の養成所の受験のみチャレンジを許されました。
結果・・・、皮肉なことにずっと受験勉強に励んでいた大学は全滅、熱意はオンリーでチャレンジした俳優養成所には見事合格することが出来ました。
しかし、「それでは晴れて声優への道まっしぐら!」とならなかったのが、実に私らしいのですが、とにかく両親共から再度大学受験を促されましたし、当時『死ぬ気』でチャレンジモードに入っていた私は、「もし可能ならば是非大学も受験させて欲しい!」ということで、俳優養成所生活&浪人生活の『二重生活』に突入します。が、それは当然甘いものではなく、言葉では言い表せないくらい厳しいな生活でした。そんなハードな日々を送るうち、夏休み頃には自分の中で第二希望であった「大学への道」は揺らぎ始めたのですが、そんな時知り合いからある新聞記事の切り抜きを渡されます。
「学長が外国人で、ベンチャー企業家を育成する大学があるんだって。これからの君にピッタリの大学じゃない?」それは当時多摩大学の学長に就任されていたグレゴリー・クラーク学長のインタビュー記事でした。ベンチャー企業家という言葉自体を知ったのがこのとき初めてでしたから、何が「これからの自分にピッタリ」なのか?当時の自分には全く分かりませんでしたが、その記事を目にした瞬間何故かビビッと来たことだけははっきりと憶えています。そしてその未知なるものへの好奇心から、ベンチャー企業家というものを調べ、声優という職業が「個人事業主=社長」という括りであることを調べ、ようやく彼の言っていた『これからの君にピッタリ』の意味合いを理解し、ここで初めて「多摩大学受験」一本化を決めることになります。
人間具体的に目標が定まると強いもので、その夏以降は養成所での勉強も、大学受験勉強も一気に身が入り、翌年春には念願の青二プロダクションへの入所が、そして多摩大学への入学も決まります。
今度はプロの声優&大学生という、またも『二重生活』に突入するのですが、そこからの日々は本当にあっという間でした。プロの仕事現場で「仕事の厳しさ」を体感し、多摩大学でアカデミックに学び、とても充実した生活を送ることが出来たからです。もちろん仕事と勉強の両立でスケジュール的に大変なこともありましたが、自分が好きで選んでやっていることですから全て納得済みでした。それどころかいつしか自分の中で、仕事現場で感じた問題意識を大学での勉強の場で取り上げてみたり、逆にまた大学で学んだことを、仕事現場で生かしたり・・というような前向きな流れまでもが自然に出来ていました。
充実した生活の中にあると、人間はアイデアに溢れてくるものです。もともと子供が好きで教育に関心があった私は当時、「外国では演劇の授業が教育プログラムに組み込まれていて、効果を発揮している。日本でも是非そうするべきだ!その導入として演劇ワークショップを広めることで、世の中の役に立てるのではないか?」というアイデアを持つようになりました。
そして、そのアイデアを実行に移したかった私は、当時レジャー産業経営論の授業で感銘を受けた杉田文章先生のゼミで、そのアイデアの実現に向け、仲間たちと共に研究に励むことになります。杉田ゼミではゼミ生たち各々が興味関心のあるレジャーのジャンルについて研究し、その研究内容をお互いにプレゼンテーションし合いました。ですから、僕自身が研究した「演劇ワークショップ」に関して様々な意見を聞くことが出来ましたし、また逆に仲間が研究した様々なレジャー、例えばサッカー、水泳、競馬、映画、音楽、テーマパークビジネスetc.とあらゆるジャンルのレジャーについても学ぶことが出来ました。
ですから多摩大学での大学生活で一番印象的だったのはこのゼミ生活であったと言っても過言ではありません。自分の中にある問題意識を取り上げ研究し、その研究成果のプレゼンを続け、最後にその研究課題を卒業論文として纏め上げるまでの過程は、本当に刺激的で楽しいものだったと記憶しています。そして、そこで勉強したことは今も自分の中に息づいています。
私は現在声優・俳優という職業人として生きていますが、多摩大学で培ったベンチャー・スピリットはその枠を乗り越え、勝手に飛び出してしまいます(笑)。死へのイマジネーションから始まった私ですが、今は生へのクリエーションを生きています。そうした自分を開花させてくれた大きなものに、多摩大学での学生生活があると思っています。そしてその日々にとても感謝している次第です。ですから私は、これから多摩大で勉強を志す学生に希望を与えられるような存在になれればと、今も元気に走り続けています!共に頑張っていきましょう!!