「最初に就職したのは多摩大学というベンチャー企業だった」 井田 正幸(3期生)

3期生の井田正幸と申します。卒業して13年、現在、株式会社ブレイク・フィールド社という30人のインターネットの会社を運営しています。

私が入学したころの多摩大学は、「休講のない大学」、「実学重視のカリキュラム」、「産業界で活躍した教員陣」という、当時としては先端を行く大学(今でもそうでしょうが・・・)、教育機関のイノベーターという役割を担っていました。ゼミの授業も型破りで、マイケル・ポーターの本を読破し、数名のグループに分かれてディベートを行う経営戦略のゼミや、企業の中間管理職が受けるセミナーを受講したりと、実践さながらの勉強でした。ゼミ内のディベートで勝った私たちのチームのプランをそのままサントリーにプレゼントしたこともありました。私は、社会人になって米国の社会人スクールにも行きましたが、お世辞抜きに、欧米のビジネススクール顔負けの授業だったのではないでしょうか。ですから、大学に入ったというより、多摩大学という教育界のベンチャー企業に就職したようなものだと思います。

実社会で生きていく前向きな考え方、また、現在、弊社の社訓にもなっておりますが、「愚痴をこぼすなら提案して、自ら実行する」といったものは多摩大学で体得したものといっても過言ではないでしょう。特に、我々3期生の時代は、創設間もなく、「無いもの」が多かったので、愚痴をいっていもはじまらないという環境でしたし、「愚痴は愚の骨頂、愚痴をこぼすのなら提案しろ」というのが、初代学長の口癖でもありました。

仕事というものは、業種や職種、事業規模やプロセスによって実に多くの選択肢があるものですが、私は大きく3つに分類して考えています。伝統を継承していくトラディショナー、新しい時代や新しい市場を切り開いていくイノベーター、そしてイノベーターに追随して大きくものごとを完成させていくフォロワーと。その中で私が選んだのは、イノベーター。多摩大自身がイノベーターだったということもあり、その影響を大きく受けたのだと思います。私の場合は、起業して現在に至っていますが、仕事の選び方や生き方の格好良さは人それぞれだと思います。会社で一緒に働く仲間達には、自己実現も大切ですが、やはり思いやりのある人に育ってほしいと思っております。また、そんな後輩たちとは太いパイプでつながっていきたいと考えています。