「<二つの大学>を知る卒業生から」 内田 純一(3期生)

 多摩大学の第二の学科として、「レストラン・ホテル学科」が計画されていたことがあります。 草創期の多摩大に在学されていた方は、初代学長の野田一夫先生がこうした観光関係の学科新設を構想していた*1ことをご記憶のことでしょう。 結局のところ新学科開設は実現しませんでしたが、当時は寄付講座の枠組みを活用して、 ホテル経営論をはじめフードサービスやレジャー産業に関する産学協同型の講義が集中的に公開*2されるなどの取り組みも行われていました。 私にとって特定の業界を集中的に学ぶ初めての経験だったこともあり、経営情報学の実践適用という問題に強く興味を持つ契機となった講義でした。 当時は立教大学の観光学科*3のほか、いくつかの大学に観光関連学科があったのみでした。 しかし、最近になって政府が観光立国宣言を打ち立てて以降は、全国の大学で観光関連の学部・学科設置の動きが一大ブームになっています。昨今の新設ラッシュを見るにつけ、もしあの時にレストラン・ホテル学科が開設されていたら多くの人材を産業界に輩出していた頃だろう、と少々残念な気持ちもあります。

 何かの因果なのかもしれませんが、多摩大学を卒業して十数年後に、私は北海道大学大学院の観光創造専攻の立ち上げに参加することとなり、現在はその専攻で教壇に立っています。北海道大学には地域活性化の起爆剤となるような役割を発揮することが期待されており、我が専攻が目指すビジョンも、地域が持つ固有の文化や伝統といった資源を軸にした「地域発」の観光を創造するという点に重心があります。多摩大学で構想されていたレストラン・ホテル学とは少し違った方向性ですが、新専攻をつくるにあたって、大学時代から観光分野への関心を持ち続けていたことが非常に役立ちました。思い返せば、私が専門としている地域企業・地域産業という領域に関心を持つきっかけもまた、やはり在学時代に遡ることができます。学部長であった中村秀一郎先生や所属ゼミの教授であった柳孝一先生の講義や著作は、ベンチャー企業や中小企業に光をあてつつ、とりわけ地方に立地する企業の可能性にも目配りされていたことが強く印象に残っています。法政大学と浜松大学との間で3大学合同ゼミを運営し、浜松に遠征したことも懐かしい思い出です。

 関東地方で生まれ育ち、東京の金融機関に就職した私が、北海道に転勤したことで再び地域の可能性を考えるようになり、さらにはそのまま北海道の大学に転職して、それを追求し続けていくことになったのは、やはり多摩大学で学んだ影響が大きかったように思います。その意味で私は多摩大学に対して非常に感謝しています。とはいえ、大学と学生との関係は在学期間だけに限られたものではありません。卒業した後は、OBとして大学を支え続けるため、卒業生は母校の現状に気を配るべきなのです。結局のところ、卒業生が支えてくれない大学など誰にも支持されはしないのです。私は、北海道大学が卒業生の力を借りて発展する例を間近に見てきました。多摩大学が新学科*4と新学部*5を相次いで設置して新たなステージ*6に入った今、大学側も卒業生との関係作りをそろそろ意識していく必要があります。私は大学人であるが故に、多摩大学を見る目は他の卒業生よりも若干厳しいかもしれませんが、時には建設的な批判もできるよう、これからも母校を見守り続けたいと思っています。

*1 『大学を創る-多摩大学の1000日』野田一夫著(紀伊國屋書店, 1991年)に、開学前後に野田学長自身が関係者に宛てて送っていたハガキ通信が収録されており、新学科構想の記載があるほか、『多摩大学』室伏哲郎編(二期出版, 1990)のインタビュー記事にも野田学長が新学科に言及した部分がある。
*2 これらの講義は多摩大学ビジネス叢書のレクチャー・シリーズとして実教出版から1993年に刊行。いずれも多摩大学総合研究所と産業界との産学協同方式で開講され、出版物も総研と協力企業・団体との共同編集の形式となっている。シリーズ番号順に列挙すると、『レジャー産業を考える』・『ホテル経営を考える』(以上、大和ハウス工業生活研究所との共編)、『フードサービス経営を考える』・『フードサービス産業を考える』(以上、(社)日本フードサービス協会との共編)、『ニューオフィスを考える』(イトーキ総合研究所との共編)の5冊が刊行された。
*3 立教大学社会学部に観光学科が設置されたのは1967年で、初代学科長は立教大学在職時代の野田一夫教授。学科設置のための文部省(当時)との折衝役を引き受け、初代学科長に就任するまでのいきさつは、『私の大学改革』野田一夫著(産能大学出版部, 1999)などに書かれている。なお、同書には「二つの大学」(『経営・情報研究 多摩大学研究紀要 No.3』野田一夫著)という論文が収録されているが、本メッセージのタイトルはこれにちなんでいる。余談だが、立教大学の観光学科は当初、「ホテル学科」として企画されていたが、対応する学会がないということで文部省の担当官に突き返されたあと、野田一夫教授が日本観光学会の存在を根拠に「観光学科」と命名したという裏話がある。ちなみに、立教大学は1998年に観光学科を学部に昇格させ、これが我が国における最初の観光学部となった。現在は観光関連学部・学科は20校以上の大学に設置されている。
*4 2006年に経営情報学部に設置されたマネジメントデザイン学科により、多摩大学は17年もの間続いた一学部一学科体制から脱却した。ちなみにマネジメントデザインが目指す事業構想力をつけるというコンセプトは、野田一夫学長が創設に関わったもう一つの大学である宮城大学の事業構想学部(特に事業計画学科)とも共通する。近年、大学関係者の間では創造型パラダイムの教育・研究についての議論がなされてきており、マネジメントデザイン学科もこうした一連の動きの中に位置づけることが可能である。他の大学の例では、早稲田大学が第一・第二文学部を再編して設置した文学部と文化構想学部の組み合わせがある。
*5 2007年に設置されたグローバルスタディーズ学部は、いわゆるリベラルアーツ教育を行う学部の一つ。こうした学部の先駆けは国際基督教大学に1953年に置かれた教養学部であり、模範となったのは言うまでもなく米国のリベラルアーツ・カレッジであるが、日本型リベラルアーツは徹底した語学教育という特色も併せ持ち、最近では早稲田大学、上智大学に国際教養学部が相次いで開設され、この動きに追随する大学(法政大学、明治大学など)も増えている。なお、多摩大学の第3代学長であったグレゴリー・クラーク教授は、秋田県の公立大学法人である国際教養大学の開設準備委員を務め、開学後は副学長(現職)。ちなみに同大学の国際教養学部には学科はなく、「グローバル・ビジネス課程」と「グローバル・スタディズ課程」がある。
*6 従来の日本の大学は、総合大学を目指した発展経路を辿っており、学部を次々と開設するやり方が主流であった。この経路は戦後開設の新制大学にも見られ、1965年設置の京都産業大学などが総合大学化に成功している。しかし、既に少子化傾向が顕著になった今、新たに総合大学化する大学は出てこないと見てよいであろう。なお、日本の大学政策は研究大学と教育大学に二分する米国型に近づいてきており、得意分野を絞らない限り、非伝統大学が研究大学として新たに認められることはますます難しくなることが予想される。米国では、研究大学でなくとも、ベンチャー教育分野では全米一と言われるバブソン・カレッジなど、高い評価を得ている小規模大学はいくつか存在する。もちろん、教育大学としてのリベラルアーツ・カレッジは原則として小規模大学であるが、これらのなかには優秀な人材を輩出してきた伝統校も数多い。日本では一流総合大学すなわち研究大学と見られがちであるが、だからといって教育大学が一流でないということには本来ならないはずである。近い将来、文部科学省の思惑通りに我が国でも大学院へ進学することが当たり前の時代になった場合、学部教育はむしろ少人数の教育大学でしっかりと受けるというニーズが生まれてくる可能性はある。