「失敗を恐れずに挑戦し続ける」多摩大学が育てた起業家魂
多摩大学の卒業生インタビュー第2弾。今回は、デジタルメディアとマーケティングを事業展開する株式会社ブレイク・フィールド社を率いる井田正幸氏にご登場いただき田坂正樹同窓会会長との対談をいたしました。多摩大学3期生として、野田一夫学長の薫陶を受け、ベンチャーキャピタルからシリコンバレー、そして起業へと挑戦を続ける井田氏。「成功の反対は失敗じゃなくて何もしないこと」という野田学長の教えを胸に、英語も話せないままシリコンバレーに飛び込んだエピソードなど、現役学生や若手卒業生に勇気を与える熱いメッセージをいただきました。
※対談場所に千代田区一番町の株式会社ブレイク・フィールド社オフィスをお借りしました。
シリコンバレーで通訳も英語も話せないのに飛び込んだ男
田坂会長:今日はお忙しい中、ありがとうございます。井田さんとは本当に同じ学年で、毎日一緒にいた仲ですからね。懐かしい話もたくさん出てくると思います。
井田氏:こちらこそ。田坂さんには会社立ち上げ後、十数年も非常勤役員をやってもらって、本当にお世話になりました。
——(まずは学生時代の話から聞かせてください。お二人がキャンパスで知り合ったきっかけは?)
井田氏:あの頃、我々は3期生だったから、学年全体でもそんなに人数がいなくて、みんな顔見知りで繋がっていましたね。その中でも20人ぐらいのメンバーがグループになって、アリーナの階段に座って、いつもダベってる感じでした(笑)。
田坂会長:オールラウンドサークルっていう、まあ要するにいろんなこと楽しむサークルでしたね。
井田氏:いろんなことやりましたね(笑)。私は他にもテニスサークルにもちょっとだけ入ってました。でも3、4年はゼミ活動が中心で、柳孝一先生のゼミでしたね。
井田正幸氏
野村総合研究所の部長だった柳先生から直接学べる贅沢
田坂会長:柳ゼミは本当に活発だったよね。
井田氏:今振り返ると、野田学長が作ったベンチャー企業に入ったようなものだったと思います。野田さんが作ったベンチャー企業で、今見ると結構メガベンチャーだったんじゃないかと。有名な先生をたくさん集めて。
田坂会長:確かに普通の企業で考えたら、1年目の若手が部長と直接話すとか、そこで直接育てられるなんてないですもんね。
井田氏:そうそう。柳先生は野村総研の部長で、ビジネス力もあるし人格的にも素晴らしい方でした。いろんな所に連れて行ってくださって、例えば大企業の中間管理職向けの企業セミナー、あれたぶん一人何十万円もするようなプログラムに参加させてもらったり。
田坂会長:大手ビールメーカーに実際に自分たちで作った提案をしに行ったりもしてたよね。
井田氏:ビールメーカーの戦略を、わざわざビールメーカーの人たちのところに行って提案させてもらったり。ニュービジネス協議会のイベントに参加させてもらったりとか。本当に実践的な学びの場でした。
田坂正樹同窓会会長
「成功の反対は失敗じゃなくて何もしないこと」
田坂会長:そもそも多摩大学を選んだきっかけは?
井田氏:実は浪人していて、父親が「この子このままじゃ駄目になる」と思ったんでしょうね。そっと「こんな大学あるよ」ってパンフレットを置いていったんです。新しい大学で面白い大学だということを父親は分かっていたようで。
田坂会長:卒業後はベンチャーキャピタルに就職されたんですよね。なぜベンチャーキャピタルを?
井田氏:多摩大で学んだことの一つが、生き方には「イノベーターとして生きる」「フォロワーとして生きる」「トラディショナルとして生きる」という3つがあって、どれが良い悪いじゃない。でも野田学長はイノベーターとして生きる素晴らしさを説いていて、そこにすごく惹かれたんです。
田坂会長:でも新卒でベンチャーキャピタルに入るのも珍しかったでしょう?
井田氏:最初は書類選考で落とされたんですよ。でも「もう一度受けさせて欲しい」と連絡して。
田坂会長:すごいですね!それは落とされてすぐに?
井田氏:はい。野田学長の口癖が「成功の反対は失敗じゃなくて何もしないこと」だったんです。今見ると成功した人たちってみんな嬉しそうに失敗を語るじゃないですか。その精神が身についていたんでしょうね。
「見ておかないと後悔する」シリコンバレーでの挑戦
田坂会長:その後シリコンバレーに行かれたんですよね。
井田氏:CSKのベンチャーキャピタルで働いている時、私は国内投資担当でしたが、会社の投資の半分はシリコンバレー投資でした。国内投資、海外投資と同じ会議で行われており、海外投資のダイナミックな案件に大変興味を持ちました。また、当時のベンチャーキャピタルの経営者が「とにかくシリコンバレーはすごいから絶対に見た方がいい」というのが口癖で。それで向こうにインターン的な形で行ったんです。
田坂会長:3年目くらいでしょ?仕事もやっとできるかなくらいの時期に、よく行ったなと思って。
井田氏:英語は全く喋れませんでした(笑)。
田坂会長:度胸あるよね!
井田氏:向こうのビジネスインキュベーション施設に入って、世界各国から来た50社くらいの会社と一緒でした。私はただのタダ働きだったんですけど、インキュベーターの社長に「アジアから来た案件の商談に同席させてくれ」と言って。そのインキュベーター施設は、シリコンバレーでも有名で、日本をはじめ、世界から、ビジネスパーソンが、毎日のように視察に来られていました。
田坂会長:視察にこられた人から見ると、「こいつすげえ奴だ」って思われたでしょうね。
井田氏:そうなんです。ただのインターンなのに商談に同席してるから、インキュベーターの社員に見えたのでしょうね。大体終わると、日本人のビジネスパーソンからは、ランチに誘われて、情報を取ろうとされるんですよ。そのランチを通して、日本の大手総合研究所からスポンサーシップを取ったら、急にみんな温かくなって(笑)。
四谷の小料理屋で説教された思い出
田坂会長:帰国後はすぐに起業されたんですか?
井田氏:最初は全然立ち上がらなかったですよ。インキュベーターとか言って、ベンチャー企業を支援しようとしてやったんですけど、私が一番支援が必要でした(笑)。
田坂会長:その頃、僕も非常勤役員として関わり始めたんだよね。
井田氏:そういえば、起業して2、3年目くらいの時でしたっけ。四谷の小料理屋である方にすごい説教されたこともありましたね。お互いにそれが悔しくて。田坂さんと二人で赤坂のホテルの高層階のお店に行って、「いつも踏みつけられているから、高いところに行って景色を見よう」って言ったんです。
田坂会長:そうそう!でも実際は俺らも青息吐息で(笑)。今は四谷に住んでるから、たまにあの小料理屋近辺通ると「あ、ここで説教されたな」って思い出すね(笑)。
約800万人が利用するメディアへと成長
田坂会長:今のブレイク・フィールド社の事業について教えてください。
井田氏:メディア事業では「ファイナンシャルフィールド」が、多い月では約800万人くらいの人が来るメディアになっています。暮らしとお金の課題を解決するメディアですが、このノウハウを使って違うジャンルでも、人々の課題を解決するメディアを作っていきたいと思っています。
田坂会長:海外展開もされているんですよね?
井田氏:ベトナムとタイで約10年やっています。ベトナムでは医療保険の比較サイト、タイではクレジットカードやパーソナルローンの比較サイトをやりながらデジタルマーケティングを展開しています。
田坂会長:アジア市場は本当に大きいですよね。
井田氏:インドまで含めると20億人近い人たちが、これから金融商品を自分たちで選択していきますから。そこは、弊社が日本で行ってきたビジネスなので、アジアでも我々が役立てるんじゃないかなと。より外貨を稼げる会社になっていきたいと思っています。
同窓会への期待:学生に実践的な体験ができる機会を
田坂会長:最後に、同窓会に期待することはありますか?
井田氏:私が学生の時にいろんな経験をさせてもらって、それが人生にすごく役立ちました。だから今の学生にもそういう体験ができる機会を作れればいいなと思います。多摩大学は、実学との連携が1つの特徴だと思いますので、教授陣のネットワークや、OBのネットワークで、実社会で活躍されている方の講演を聞いたり、交流する場が、よりあれば素晴らしいと思います。
田坂会長:確かに。多摩大出身でコンサルタントとして活躍している人も多いし、執行役員もいるって聞きました。
井田氏:多摩大学も30年経つといろんな人が出てきますね。教授陣、OBを含めたつながりが、現役の学生さんに、新しい価値を提供できると、良いかもしれませんね。
【井田正幸氏 プロフィール】
経営情報学部3期生(1991年入学)。大学卒業後CSKグループ(現・SCSK株式会社)のCSKベンチャーキャピタルにて投資開発・投資審査を担当(IT分野)。同社を退社後、米国SanJose,International Business Incubatorにてインターン。帰国後の1998年IDAビジネスインキューベーターを設立。2000年ブレイク・フィールド社を設立。現在、同社代表取締役就任。現在に至る
【編集後記】 井田氏のインタビューを通じて感じたのは、多摩大学で培われた「挑戦する精神」の強さだ。英語も話せないのにシリコンバレーに飛び込み、失敗を恐れずに起業し、今やアジア展開まで果たしている。野田一夫初代学長の「成功の反対は失敗じゃなくて何もしないこと」という言葉は、まさに井田氏の人生そのものを表している。同窓生として、また現役学生として、この精神を受け継いでいきたい。
インタビュー実施日:2025年7月 編集:経営情報学部11期・埜口輝之助(同窓会理事)