家業を継ぐ人が一番偉い
〜簿記と営業で培った力を胸に、下町の老舗を守る女将〜

東京都墨田区向島。東京スカイツリーを間近に望む下町に、90年余り続く酒場「上総屋」がある。地域の宴席や会食を支えてきたお店の三代目女将は、棟方美栄(旧姓・長嶋)さん。
付属の商業高校で簿記に魅了され、多摩大学へ進学。卒業後はセールプロモーション会社の営業職として新規開拓に奔走し、年間1億円を超える売上を築いた。
結婚、出産を経て、母親の逝去をきっかけに家業へ。幼い娘を育てながら店に立ち、人の雇い方、接客、調理、店の回し方を現場で身につけてきた。女将歴は今年で20年になる。現在はお店を切り盛りする傍ら、週に一度、会計事務所でも働く。高校時代に思い描いた税理士への道を、50歳を過ぎて別の形でたぐり寄せた。
向島から半径1キロほどの範囲で暮らしながら、店では数えきれないお客さんと出会う。家業、営業、子育て、そして学び直し。棟方さんの歩みには、人とのつながりを大切に、自分自身の人生を何度でも切り拓いていく力強さがある。
8月のある日の夕刻、同窓会の鍋田修彦副会長が、下町の老舗を守る女将に、これまでの歩みと仕事への思いを訊いた。
商売と暮らしが一つだった、下町での幼少期
鍋田副会長:
居酒屋探訪家の吉田類さんの「吉田類の酒場放浪記」(BS-TBSで放送)や、「出没!アド街ック天国」(テレビ東京で放送)でお店の存在を知っていましたが、まさか多摩大の卒業生が経営しているとは知りませんでした……。棟方さんは、上総屋の三代目に当たるのですね。
棟方さん:
はい。お店を始めたのは祖父で、私は三代目です。上総屋はここ向島で90年ほど続いていて、私自身もこの家で生まれました。昔はこの敷地に4世帯が暮らしていました。祖父母、父と母、住み込みの従業員さんたちがいて、商売と家族の暮らしが完全に一緒になっていました。我が家の周りも中小企業やお店屋さんが多くて、幼少からその環境に馴染んだのでしょうね。
鍋田副会長:
幼い頃から商売が日常の中にあったのですね。
棟方さん:
そうなんです。物を仕入れて、お客様に提供し、お金をいただく。そうした売り買いが日常茶飯事でした。だから、私にとっては、国語や英語を勉強するよりも、商売の仕組みや簿記の方が、はるかに分かりやすかったですね。
鍋田副会長:
最初からいつかは家業を継ごうと思っていたのですか?
棟方さん:
どうも下町には、独特の価値観があると思うのです。どこの大学を出たとか、どこの会社に勤めたとか、そういうこと以上に、魚屋でも八百屋でも、実家の商売を継いだ人が一番偉いという感覚があるのです。なので、「家業を継ぐ」ということは、ずっと頭の中にありました。私たちにとって家業は、掃除や買い物と同じくらい身近なものなのです。いろいろ経緯はありましたが、今は弟が下支えをし、私が女将として表に立つ形に落ち着いています。
鍋田副会長:
アメリカでは、起業する人が一番偉いみたいな価値観がありますよね。一方、下町では後を継ぐ人が一番偉い。考えてみると、家業を継ぐというのは、商売だけではなく、先代が築きあげてきたお客様や取引先、地域との関係まで受け継ぐことでもありますよね。
棟方さん:
そうだと思います。お店だけを残せばいいわけではないし。昔からのお客様や地域とのつながりがあって初めて商売が続いていく。そういうものも含めて次の世代につないでいくのが、家業を継ぐということなのかなと思います。
鍋田副会長:
だからこそ、下町では、「後を継ぐ人が一番偉い」という価値観が生まれたのかもしれませんね。
商業高校で出会った簿記の面白さ
鍋田副会長:
出身高校は渋女(渋谷女子高校)の商業科。今の渋谷教育学園渋谷中学高等学校です。
棟方さん:
当時制服がものすごくかわいかったことと、通いやすかったことが進学の理由です(笑)
商業科では、珠算、ワープロ、簿記など、資格取得の日々でした。周囲には、そろばんの全国大会に出るような生徒もいて、かなりレベルの高い環境でした。私は特に簿記が好きで、高校2年生の夏に日商簿記2級を取得しました。
鍋田副会長:
高校2年生で簿記2級はかなり早いですね。しかも全商簿記ではなくて、日商簿記。
棟方さん:
簿記2級を取った後、次に何を目指すか考えました。簿記1級に進む道もありましたが、その先を考えると税理士という仕事に行き着いたんです。当時は大学で経済学に関する科目の単位を取得することが、税理士試験の受験資格を得る方法の一つになっていました。
(※現在は受験資格の要件が緩和されており、大学院修了により一定の要件のもとで一部科目が免除される制度もある)
それなら大学に進学しようと考え、商業科から進学クラスに移りました。普通科の生徒に追いつくため、半年間、必死に塾へ通いました。
鍋田副会長:
多摩大学の法人である田村学園の高校は、目黒女子商業高校(現・多摩大目黒高校)もそうですが、商業科が起点ですよね。高校時代には、田村哲夫校長(現・渋谷教育学園理事長・学園長)との出会いもあったそうですね。
棟方さん:
田村先生には本当にお世話になりました。商業科の生徒にも大学進学の道を開いてくださった方です。かわいがっていただき、今でも心から尊敬しています。田村先生とのご縁がなければ、多摩大学へ進学する道もなかったかもしれません。
「多摩大学が面白すぎた」学生時代
鍋田副会長:
多摩大学には、内部進学で入学されたのですね。
棟方さん:
そうです。晴れて多摩大生になりました。本来は税理士を目指すための進学だったのですが、もうね、多摩大学での生活が面白すぎて(笑)。1、2年次は大学の授業を受けながら、田坂正樹先輩(多摩大学同窓会会長)が率いるM’sサークルで活動したり、他大学のインカレサークルに参加したり、地元の活動にも関わったりしていました。遊びすぎて過労死するのではないかというくらいキャンパスライフは充実していましたね(笑)
鍋田副会長:
3年次には、(※)尾高敏樹ゼミを選ばれたのですね。
※尾高敏樹教授は、株式会社オカムラ取締役を経て1989年多摩大学開学時に教授で就任。オフィス管理論などを担当。故人。
棟方さん:
圧倒的に人間的な魅力があって、キャラクターの立っていた尾高先生の誘惑に負けました(笑)尾高先生と、最高の仲間に囲まれて、とても楽しいゼミ生活を送ることができました。もちろん、財務諸表論などの会計科目は大好きでした。簿記や財務会計は、今でも私の原点です。

就職氷河期に130社へ応募も苦戦
鍋田副会長:
大学卒業後は、当時年商100億円近くの内海産業株式会社に入社されました。まさしく就職氷河期でしたね。
棟方さん:
女性総合職の採用が非常に厳しい時代でした。私は約130社に応募しました。今のようなインターネットでのエントリーなどはなくて、資料請求のはがきをひたすら送りましたが、返事が来た会社は片手で数えられるほどでした。当時は女子学生には就職情報誌さえ届かなかったので、地元の男子学生から雑誌を借りて応募していました。
鍋田副会長:
今では考えられない……。それでも諦めずに130社。
棟方さん:
なかなか内定をもらえなかったので、就職活動の攻略本を読みました。そこには、「自分だけの特技をアピールしなさい」と書いてあって。
そこで、最終面接で社長に、「私は接客の極意を知っています。私にすべて任せてください」と言いました。当時は赤坂プリンスホテルなどで接客のアルバイトをしていましたし、接客には自信があったんです。すると社長から、「そこまで接客を知っているなら、自分の家を継げばいいんじゃないの?」と言われて。私も思わず、「そうですよねー」と答えてしまって(笑)。そのやり取りが、結果的に採用のきっかけになりました。
鍋田副会長:
面白いですね。用意した模範回答ではなく、ご自身が実際にやってきたことを、自分の言葉で自信を持って伝えた。それが社長の印象に残ったのでしょうね。考えてみれば、接客も営業も、結局は相手とのコミュニケーションが基本ですよね。
棟方さん:
そうですね。結局、相手が何を求めているのかを考えて、それにどう応えるかということだと思います。
大きな案件よりも100万円の仕事を10件取る
鍋田副会長:
入社後は、全国でも数少ない女性営業として働かれたとのことでしたが。
棟方さん:
営業部に配属され、外回り、新規開拓、既存のお客様への企画提案、販促品の製作などに取り組みました。当時は女性営業が全国で5人ほどしかおらず、ほとんど男性の中で働いていました。
鍋田副会長:
年間売上目標は1億円を超えていたとか。
棟方さん:
販促品は、1個300円、400円の商品も多いので、1億円を売るには相当な数が必要です。大きな案件を一つ受注する方法もありますが、大型案件は、提案から製作、納品まで時間も人手もかかります。私は仕事をしていく中で、100万円ほどの発注なら、比較的早く意思決定してもらえることに気づきました。同じ1,000万円を売るなら、1,000万円の案件を一つ取るより、100万円の案件を10件取ればいい。そう考えて、小さな案件を数多く積み上げました。
鍋田副会長:
なるほど。売上目標を分解し、達成しやすい単位に落とし込んだのですね。
棟方さん:
「これを手掛けた」という代表作はありませんけれど、数字を分析して、確実に積み上げることは得意だったかもしれませんね。ひたすら新規開拓を続け、最終的には営業成績で社内トップになりました。
母親の死をきっかけに家業を継ぐことに
鍋田副会長:
その後、結婚と出産を経て、上総屋に入ることになります。
棟方さん:
結婚後も働いていましたが、営業職として数字を維持しながら家庭生活を続けることに難しさを感じ、退職しました。別の会社でも同じ販促業界の仕事をしましたが、その後は妊活に専念するため会社を辞め、やがて娘を授かりました。
そして娘が幼稚園へ入る頃、母が亡くなりました。父から「店を手伝ってほしい」と言われて、上総屋に入りました。
鍋田副会長:
子育てが始まったばかりの時期にお母様を亡くされ、今度は家業を支える側になった。生活が一気に変わったと思いますが、迷いはありませんでしたか?
棟方さん:
大変だとは思いましたが、母がいない以上、やるしかありませんでした。家業のことはずっと頭にありましたし、父だけでは接客まで手が回りません。私はもともと接客が得意だったので、役割としては自然だったのだと思います。
ただ、仕事と子育ての両立は本当に大変でしたね。昼の営業が1時半に終わると、2時には幼稚園へ娘を迎えに行く。そこから公園で遊ばせて、夕方になるとまた店へ戻る。そんな毎日でした。
鍋田副会長:
お店の仕事には終わりがあっても、子育てには終業時間がありませんものね。
棟方さん:
そうなんです。娘には、店の片隅にある小さなスペースで待ってもらうこともありました。仕事もしなければならないし、子どもとの時間も大切にしたい。でも、どちらかだけに集中するわけにはいかない。娘にも我慢させてしまったなと思います。
鍋田副会長:
ご自身の仕事や将来について、ゆっくり考える時間もなかなか取れなかったのではないですか?
棟方さん:
なかったですね。最初の10年くらいは、本当に仕事と子育てだけでした。自分のキャリアをどうしようとか、これから何をやりたいとか、そんなことを考える余裕はほとんどありませんでした。とにかくその日その日、目の前にあることを一つずつやっていく。それで精一杯でした。

女将として、現場で身につけた20年
鍋田副会長:
女将になってからは、接客だけでなく、調理や店の運営も学んだのですね。
棟方さん:
人の雇い方、お客様との接し方、店の回し方、調理の仕方など、すべて現場で身につけました。調理師免許も取得しました。父は職人ですから、何かを体系立てて教えるタイプではありませんし、ただただ見て覚えるしかありませんでした。父とは今でもよく喧嘩をしますけど(笑)、50年間経営を続けてきた父には、まだまだ及ばないです。
鍋田副会長:
お父様から学んだことで、経営という意味でも最も大きかったことは何でしょう?
棟方さん:
ズバリ、「分相応」ですね。
稼ぐ力はもちろん大切ですが、それ以上に「使わない力」が大切だと学びました。会社員は会社組織に守られている部分がありますけれど、家業や小さな会社では、誰かが守ってくれるわけではありません。収入も環境も絶えず変化します。
だから、自分たちがどこまでなら無理なく続けられるのかを知っておくことが大切だと思っています。社員時代と同じような生活を続けようとすると、経営とのバランスが崩れてしまう。自分の暮らしも、商売に合わせて身の丈に整えていく必要があります。
鍋田副会長:
なるほど。大きくすることだけを考えるのではなく、長く続けられるサイズを知る。ある意味、ダウンサイジングですね。最小限の支出で、幸せを最大化するというか。
棟方さん:
まさにそうです。そりゃ、私だって贅沢もしたいですし、休みも欲しい。会社員時代のように暮らしたいという葛藤はありました。でも、家業を続けるためには、分相応であることが何より大切です。無理に背伸びをせず、何かあっても耐えられる状態をつくっておく。リーマンショックやコロナ禍も乗り越えてこられたのは、父が長年蓄えてきたものと、そうした無理をしない経営があったからだと思います。
鍋田副会長:
成長することだけが経営ではなく、「続けられる経営」をつくることも大切なのですね。
棟方さん:
そうですね。長く商売を続けるという意味では、本当に大事なことだと思います。
向島にいながら、世界中の人と出会える
鍋田副会長:
20年間女将を続けてきた中で、この仕事をやっていてよかったと思うのは、どんな時ですか?
棟方さん:
やっぱり、お客様の笑顔ですね。これがなければ続けられません。私は普段、ほとんど向島から半径1キロくらいの範囲で生活しているわけです。でも、お店にいると、著名企業の経営者の方から、地元の常連さん、最近だと20代の若い方や海外からのお客様まで、本当にいろいろな方が来てくださる。年間で約3,000人の方と出会います。
鍋田副会長:
自分は向島にいるけれど、向こうからいろいろな世界の人がやって来るわけですね。
棟方さん:
それがすごく面白いわけですよ。法人のお客様にも長年支えていただいていて、若い頃から来てくださっていた方が、年月を重ねて会社の中でどんどん偉くなっていく。その姿を見届けられるのも、この仕事ならではの楽しさです。地元のお客様とのつながりもありますし、初めて来てくださった方がまた誰かを連れてきてくださることもある。そうやって、人と人とのつながりが少しずつ広がっていくんです。
鍋田副会長:
単に食事をする、呑む場所というだけでなく、人が集まり、関係がつながっていく場所でもあるんですね。
棟方さん:
そうですね。お客様の笑顔に立ち会えて、そこからまた新しいご縁が生まれていく。それが、私が上総屋で仕事を続けている一番の魅力だと思います。

コロナをきっかけに会計事務所との二足の草鞋
鍋田副会長:
驚いたのですが、現在は上総屋の女将を務めながら、週に一度、会計事務所でも働いていらっしゃるとか。
棟方さん:
きっかけはコロナ禍です。お店は営業を制限され、お酒抜きのランチを続けていました。時間ができたので、以前から知っていた会計事務所の先生に、「暇だから働かせてください」とお願いしたのです。先生は、私が会社員だった頃の先輩で、偶然、同じ地元の方でもありました。「いいよ」と快く受け入れてくださり、そこから始まりました。
鍋田副会長:
高校時代に目指していた税理士の仕事に、違う形で戻ってきたわけですね。
棟方さん:
そうです。税理士になることはできませんでしたが、50歳を前にして、会計の現場で働く機会をいただきました。業務を通じて学ぶことは、上総屋の経営にもとても役立っています。まさに「生きた会計」ですね。以前から、経営や事業承継が気になり、セミナーや相談窓口にも足を運びましたが、自分が本当に知りたいことにはなかなかたどり着けませんでした。会計事務所での経験を通じて、自分が不安に感じていたことや、上総屋の経理についても、見るべきポイントが少しずつわかるようになりました。
鍋田副会長:
女将と会計事務所は、一見するとまったく違う仕事ですよね?
棟方さん:
両極端だからこそいいんじゃないかしら。女将の仕事では、人の気持ちを考え、場の空気を読みます。会計事務所では、数字やFACTを冷静に見ます。右脳と左脳をバランスよく使っている感覚があり、健康的ですし、商売にも非常に役立っていますね。50歳を過ぎて、やり残していたことにもう一度取り組めている。とても幸せなことだと思います!
家族全員が、同じ収入源で生きるということ
鍋田副会長:
上総屋は、お父様が調理を担い、弟さんも仕入れを担当されている。まさに家族経営ですが、家族だからこその難しさもありそうですね。
棟方さん:
あるある(笑)。だって、家族みんなが同じ一つの収入源で生活しているわけで、「誰か一人くらい外に出て、別の収入を得てくれないかな」と思うこともありますもん(笑)
鍋田副会長:
会社でいえば、家族全員が同じ事業に生活を預けているわけですものね。売上が良い時も悪い時も、全員に影響する。
棟方さん:
本当に大変です。でも今は、父が調理を担い、弟が仕入れを支え、私が接客と全体の運営を見る。それぞれの得意なところを担当してやっています。
鍋田副会長:
お父様は職人として料理をつくり、棟方さんは会社員時代から得意だった接客や営業の経験を生かす。弟さんも仕入れを支える。いい分業になっていますね。
棟方さん:
そうですね。喧嘩もしますけど(笑)、家族でワンチームです。
鍋田副会長:
一方で、棟方さんには簿記を学んできたバックグラウンドがあるし、今は会計事務所でも仕事をされている。家族経営だからこそ、数字を見る重要性をより感じるのではないですか?
棟方さん:
それは本当に感じますね。会計は会社の根幹ですから。料理がおいしい、接客がいいというのはもちろん大切ですけれど、それだけでは商売を続けられません。売上や仕入れ、経費がどうなっているのか、きちんと数字を見ることは絶対に必要です。
鍋田副会長:
続けるために数字にちゃんと向き合うということですね。
棟方さん:
そうです。多摩大学の卒業生にも飲食店を経営されている方がいらっしゃると思いますが、料理や接客と同じくらい、数字はシビアに見てほしいですね。それが店を長く続けることにつながると思います。
人生は、何歳からでも挑戦できる!
鍋田副会長:
ここまでお話を伺うと、棟方さん自身も、ずっと一直線にキャリアを築いてきたわけではないですよね。税理士を目指していた時期があり、営業の仕事をやり、結婚や出産があって、家業に入り、そして50歳を過ぎてから再び会計の仕事に関わるようになった。これから挑戦したいことはありますか?
棟方さん:
私が目標にしているのは、日本人初の国連難民高等弁務官を務められた(※)緒方貞子さんです。
※緒方貞子さんは日本の国際学者。上智大学教授などを経て、1990年に62歳で日本人の国連難民高等弁務官に就任。紛争地や難民キャンプに自ら赴き、支援を重ねた。世界的な人道支援のリーダー。
緒方さんは年齢を重ねても新しい役割を引き受け、世界を舞台に挑戦し続けた方です。彼女の歩みを見ていたら、私も年齢を理由に「もう遅い」とか思いたくなくなりました。
女性の人生には、出産、子育て、介護など、自分のことだけに時間を使えない時期があります。男性と女性では、人生の時間の流れ方が違う部分もあると思います。だから、今まさに子育てや介護で奮闘している多摩大学の女性卒業生には、「焦らなくてもいいよ」と伝えたいですね。
鍋田副会長:
どうしても周りを見ると、同世代が活躍していたり、新しいことを始めていたりして、「自分だけ止まっているのでは」と焦りを感じてしまうこともありますよね。
棟方さん:
そう。でも、結局は自分だなと。周りと比べて焦って、自分ですべてを抱え込んで疲弊して、人生がおかしくなってしまったら悲しいじゃないですか。その時にできることをやればいいと思います。私だって、子育てと店の仕事で精いっぱいだった時期には、会計の仕事にもう一度関わるなんて考える余裕なんかなかった。
でも、50歳を過ぎてから、その機会が巡ってきた。高校時代から好きだった会計に、思ってもいなかった形でまた戻ることができたわけだし。
鍋田副会長:
40代、50代になると、「もう新しいことを始める年齢ではない」と思ってしまう人もいるかもしれませんが、棟方さんのお話を聞いていると、むしろ、それまでやってきたことが後になってつながることもあるのかもしれないですね。人生面白いなあ。
棟方さん:
本当にそうだと思います。若い頃に思い描いていた通りにならなくても、そこで終わりではありません。違う形で戻ってくることもある。何歳になっても、自分の人生に残っている宿題に挑戦できると思っています。
鍋田副会長:
「今まで何をしてきたんだろう」ではなく、「これまでの経験を、これからどう使おうか」。40代、50代の卒業生にとっても、そんな感じで考えるきっかけになりそうですね。
棟方さん:
そうですね。私もまだまだこれからです。90歳くらいになったら人生振り返りたい(笑)

多摩大学で得たもの
鍋田副会長:
最後に、多摩大学で得た一番大きなものは何でしょう?
棟方さん:
やっぱり、「人と人とのつながり」ですね。
大学時代の仲間や先生方とのご縁は、卒業してからも続いています。多摩大学には人との距離が近くて、一人ひとりの個性を受け入れてくれる雰囲気がありました。
学生時代にたくさんの人と出会って、遊んで、学んで、いろいろな価値観に触れたことは、今の接客や商売にもつながっていると思います。だからこそ、多摩大学同窓会も、時代が変わっても、卒業生同士がまたつながったり、新しいご縁やヒントが生まれたりする場所であり続けてほしいですね。

【棟方美栄さんプロフィール】
多摩大学経営情報学部4期生。
渋谷女子高校(現・渋谷教育学園渋谷高校)商業科を経て、1992年に多摩大学入学。
卒業後は、セールプロモーションを手掛ける内海産業株式会社に入社し、女性営業職として新規開拓や企画提案に従事。年間売上1億円を超える実績を上げる。結婚、出産を経て、母親の逝去をきっかけに、東京都墨田区向島の家業「上総屋」へ。現在は三代目女将として店を切り盛りする傍ら、会計事務所でも勤務している。女将歴20年。調理師免許保有。
【編集後記】
昨年2025年秋のミートアップ(大同窓会)で初めてお会いし、さらに今年6月に上総屋で開いた卒業生有志の暑気払いの席でもご一緒させていただき、棟方さんの飛び抜けた明るさ、人を自然に巻き込む力に魅力を感じた。
今回あらためて話を訊いて、その背景には、下町で育った商売人としての感覚と、営業、子育て、家業承継を一つひとつ引き受けてきた20年の積み重ねがあることを知った。何より心に残ったのは、「家業を継ぐ人が一番偉い」という言葉。華やかな肩書ではなく、受け継いだ場所を守り、家族や従業員、お客様の暮らしを支え続けることへの誇りが伝わってきた。
棟方さんは家業を守るだけではない。50歳を過ぎて会計の仕事に再び向き合い、自分の中に残っていた宿題にも挑戦している。
人生には思うように動けない時期もある。それでも、学び直すことや、新しい一歩を踏み出すことに時期はない。妊活や子育てをしながらも、懸命にキャリアを築く女性卒業生はもちろん、ミドルエイジの卒業生に対しても力強いメッセージをいただいた気がする。
取材後にいただいたアジフライは絶品。日本酒もいい銘柄がたくさん揃っている。ぜひ皆さんもお楽しみあれ!
上総屋のサイト:https://kazusaya.foodre.jp/
【卒業生向けに特典があります】
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インタビュー実施日:2026年8月
編集:経営情報学部7期生・鍋田修彦(同窓会副会長)
