同窓生連載インタビュー vol.1

上場企業トップ3名が振り返る学生時代と経営の軌跡

多摩大学の卒業生から数多くのビジネスリーダーや起業家が誕生しています。今回は上場企業を率いる卒業生3名による対談が実現しました。進行役は田坂正樹同窓会会長(株式会社ピーバンドットコム 取締役会長ファウンダー)とともに、青柳史郎氏(グローバルセキュリティエキスパート株式会社 代表取締役社長CEO)、古俣大介氏(ピクスタ株式会社 代表取締役社長)が多摩大学での学生生活から現在に至るキャリアパス、そして今後の展望まで、熱く語っていただきました。

※対談場所にグローバルセキュリティエキスパート株式会社オフィスをお借りしました。

多摩大学での学生時代

——(多摩大学時代の思い出や学生生活について教えてください

青柳氏: 私は隣の多摩大学附属聖ヶ丘中学・高等学校の出身です。高校時代から多摩大学のキャンパスをよく知っていました。キャンパスライフという意味では特に新鮮味はなかったですね。附属出身の学生が15人くらいいて、その仲間と過ごすことが多く、他の学生との接点があまりなかったのと、2年生くらいまでは、あまり大学に馴染めなかったですね。

古俣氏: 私は1995年入学で、野田一夫先生のインタビューを見て、面白いなと思って入学しました。正直に言うと、最初の1年間はあまり授業に出席せず、1回目の1年生で留年してしまいました。

しかし、2回目の1年生の夏にイスラエルに1ヶ月ほど滞在する機会があり、そこで人生観が変わりました。現地の大学生と交流して、彼らの真剣な姿勢に刺激を受けたんです。日本の大学生と考え方が全然違い、常に緊迫感を持って学んでいる姿を見て、「今までのぬるい生活をしている場合じゃない」と思ったんです。帰国後は真面目に授業に出るようになり、井上宗迪先生と仲良くなって、放課後に特別授業をしてもらったりしました。20人ほどの自主ゼミを立ち上げ、学びに集中するようになりました。

田坂会長: 私は3期生でした。当時はまだ4年生までいない状況で、校舎もピカピカでした。大学の仕組みも確立されていない黎明期でしたね。サークルも少なくて、私は飲み会サークルに入りました。ゴールデンウィークに新歓コンパなどをやって、学生生活をスタートさせました。2年生のときにはその代表を任されました。150人集めた歓迎会もやりました(笑)

当時は「起業家集まれ」という雰囲気があり、野田一夫先生が集めていた影響もあって、起業に興味がある学生や家業を継ぐ予定の学生が多かったように思います。先輩がいない分、自由にできて、みんな「とにかく友達を増やさなくちゃ」という感じでやっていました。意外と自由な校風だったので、自分たちで道を切り開いていくような経験ができたと思います。

青柳 史郎氏青柳 史郎氏

学生時代の起業経験

——(在学中に起業やビジネスにチャレンジした経験はありますか?

古俣氏: 私は大学在学中に個人事業としてコーヒー豆のECサイトを立ち上げました。当時はショッピングカートのツールもなく、自分でJavaScriptを作ろうとして挫折し、同級生に協力してもらった記憶があります。月商は30万円ぐらいでしたが、利益率は良かったので新卒と同じくらいは稼げていました。

その後、2005年に写真素材のサイト(現在のピクスタ)を始めました。当時、デジタル一眼レフカメラが普及し始めて、アマチュアの人たちが良い写真を撮れるようになったのを見て、素材として売れるのではと思ったんです。アメリカではそういったサービスが伸び始めていましたが、日本ではまだ珍しかった時代ですね

古俣 大介氏
古俣 大介氏

社会人キャリアと起業への道

——(大学卒業後のキャリアパスと現在の会社に至るまでの経緯を教えてください

青柳氏: 私は大学卒業後、ピザ店のデリバリーの仕事をしていました。すぐにリーダーになり、店長代理のような役割を任されました。その頃、ピザハットのフランチャイズオーナーが5店舗ほど持っていて、ベンツに乗るなど成功している姿を見て、ビジネスの魅力を感じました。その後、あるソフトウェア会社の社長の息子さんの紹介で、IT業界に入りました。

最初のソフトウェア会社で約6年働き、その後ベンチャー企業2社で役員を経験しました。29〜30歳頃までは、その2社で営業役員のような立場でした。その後、サイバーセキュリティの分野に興味を持ち、GSXに入社。入社して2年で役員になり、5年後の2018年に社長に就任。その3年後の2021年に上場を実現しました。

私は完全に自分で起業した社長ではなく、既存の会社でキャリアを積み、社長に就任したタイプです。社長就任時、会社は厳しい状況でしたが、ビジネスモデルを変え、人の入れ替えを行うなど「第二創業」のような形で再建に取り組みました。「なぜこんな成長業界なのに赤字なんだ」と株主から厳しい声が上がる中での就任でした。

社長を引き受ける条件として、IPOを目指すこと、ビジネスモデルを変えることを提示しました。サブスクリプション型のビジネスモデルを導入し、1年ほどは転換に苦労しましたが、次第に軌道に乗り始めました。


田坂 正樹 同窓会会長

古俣氏: 私は大学卒業後、ガイアックスの上田裕司社長に出会い、インターンをさせてもらいました。「給料はいらないので1ヶ月だけ」と言って入ったのですが、面白くて、そのまま社員になり、子会社の役員も経験しました。当時、上田社長は家がなくて社長室に寝泊まりするほどの起業家魂を持っていて、みんな会社に寝泊まりしながら働くような環境でした。その姿勢にとても感銘を受けました。

しかし、10ヶ月ほどで「自分は起業するんだった」と気づき、退職。半年ほど考えた後、会社を設立し、オンデマンド印刷のサービスを始めました。ポスターやチラシをネットで注文できるサービスを考えていましたが、デザインや写真撮影まで自分でやることになり、労働集約的になりすぎてしまいました。「これではネットビジネスの強みを活かせない」と思い、一度仕切り直すことにしました。

その後、ECサイトでも成功し、月商1000万円程度まで成長させました。父親が雑貨のコレクターだったこともあり、売れそうな商品をネットで販売し始めたところ、うまくいきました。当時の神田昌則氏のマーケティング手法を取り入れ、「1商品1サイト」という戦略で展開したのが大きな成功要因でした。

2005年にピクスタを創業し、シードVCから資金調達を行いました。2006年頃には少し市場が回復し資金調達できました。しかし、その後リーマンショックが起こり、再び厳しい状況に陥りました。クリエイティブやコンテンツの分野で大きな事業を始めたいという思いを持ち続け、写真素材サイトを成長させていきました。2015年に上場を果たすまでに創業から10年かかりましたが、最初から上場を目指していたので、VCからの資金調達や外資系企業との協業などを戦略的に進めました。

田坂会長: 私は新卒で株式会社ミスミグループに入社しました。入社のきっかけは、多摩大学の先輩が勤めていて、初任給の良さで決めました(笑)当時はトビ職のアルバイトをしていたので、「サラリーマンでもこんなに稼げるなら」と思いました。

会社では新規事業の立ち上げを任され、パソコン部品のマーチャンダイジング担当になりました。1年目の秋には、シリコンバレーに一人で出張するほど任せてもらえました。その事業は5年で40億円規模になり、社内で評価されました。当時は必死で働いていたので記憶があまりないほどです。

26歳頃に独立し、その後はベンチャー企業の非常勤取締役や様々な仕事をしながら生計を立てていました。週刊アスキーのネットラジオのDJや、自宅の下で飲み屋を経営したりと、様々なことに挑戦しました。

2002年に現在の会社を創業しましたが、そのきっかけは元上司からの連絡でした。ミスミの方針が変わり、私が担当していた新規事業が終了することになったため、「ミスミでは実現できなかった構想を君が形にしないか」と言われたのです。創業初期は全く上場を考えていませんでしたが、2017年にマザーズ市場に上場しました。

上場のタイミングは重要で、当時は年間180社ほどが上場する好況期だったため実現できました。金融機関と話をした際には「純利益が1億円あれば上場できる」という条件でした。幸い、その規模には達していたので実現できましたが、今の厳しい市場環境だと難しかったかもしれません。

起業後の苦労と成長

——(起業後や経営者として苦労した点や乗り越えた困難について教えてください

古俣氏: 起業してから上場するまでの10年間はとても長く感じました。特にリーマンショック後の資金調達は非常に厳しかったです。事業が軌道に乗り始めても、常に次の資金をどう確保するか、どうやって事業を拡大していくかという課題と向き合っていました。創業メンバーや初期のスタッフが疲弊したり離れていったりする時期もありましたが、写真素材マーケットの可能性を信じ続けました。

青柳氏: 私の場合は、既存企業の社長になるというキャリアパスでしたが、やはり苦労は多かったです。親会社との関係調整に非常に苦労しました。例えば社員のために炊飯器を3台購入して、「お昼はあたたかいご飯を食べ放題にしよう」というちょっとした福利厚生を始めたことも指摘されたりなど、常に監視されている状態で経営するのは非常にストレスでした。

2021年に上場してからは、親会社からの干渉も少なくなり成長し続けることができました。今では社員のために炊飯器だけでなく、懇親のための飲食やマッサージなど様々な福利厚生を充実させています。小さなことでも社員が楽しめる環境づくりを大切にしています。

IPO市場と現在の課題

——(現在のIPO市場や今後の課題についてどのようにお考えですか?

青柳氏: 現在のIPO市場は、半年ほど前から非常に厳しい状況です。新規上場が極めて難しくなっており、証券会社の審査で落ちてしまうケースが増えています。私の知る限りでも何社もあります。数年前なら確実に上場できたような会社でも、今は通りません。

結果として、経営者はIPOを諦め、M&Aの道を選ぶケースが増えているように感じます。スタートアップ起業も大企業に数十億円で売却するというような選択をしています。VC投資も厳しくなっており、大きく成長しそうな企業にしか資金が集まらない状況ですね。

古俣氏: 確かに現在の環境は厳しいですよね。私たちが上場した2015年頃とは全く異なります。当時も様々な困難はありましたが、今のように証券会社自体が新規上場に消極的という状況ではなかったです。企業としては、資金調達の方法や成長戦略について、より多様な選択肢を考える必要があると感じています。

田坂会長: 上場というのは一つのゴールではなく、新たなスタートだと思います。私たちが2017年に上場した時は、証券会社との関係も比較的スムーズでしたが、時代によって状況は大きく変わります。上場後も常に変化に対応し続けることが重要です。

多摩大学の同窓生ネットワーク

——(多摩大学の同窓生ネットワークについてどう思いますか?

青柳氏: 最近、同窓生の飲み会を始めて思ったのは、多摩大出身者のネットワークがこんなに広がっているとは思わなかったということです。特にIT系で活躍されている方が多い印象です。企業でも退職した同窓会では、OB同士がビジネスを紹介し合うエコシステムもあり、同様なシステムができたら面白いと思います。例えばOB内で「人事システムを導入したいがおすすめはないか」といった情報交換ができるといいですね。

田坂会長: 実は多摩大学の卒業生はみんな活躍しているのに、それをお互いが知らないだけなんですよ。卒業生もついに1万人を超え、意外な分野でも多摩大生が活躍しています。グローバルスタディーズ学部は観光系が強く、鉄道や航空業界等に進む人も多いんですよ。

古俣氏: 以前は日経などでも「隠れた起業家輩出大学」として紹介されたこともありますしね。我々がまだ知らない活動をしている同窓生も多くいそうですね。

同窓会の今後について

——(今後、多摩大学の同窓会をどのように発展させていきたいですか?

青柳氏: 同窓会のネットワークを強化することで、ビジネスの機会創出だけでなく、多摩大学生のためにもなると思います。私も個人的に多摩大学生のインターンや採用を優先的に考えています。現在弊社には多摩大学出身者が2名働いています。今後もっと多く採用したいですね。

田坂会長: こういった対談をアーカイブとして残し、卒業生同士の繋がりを強化していきたいですね。就職課と連携して、多摩大生のインターンや採用を優先的に行うような仕組みも作れたら良いと思います。

青柳氏: そうですね。大学のキャリア支援課がもっと多摩大学出身の経営者の情報を把握して、学生と企業をマッチングする仕組みがあると良いですね。多摩大学のOBが経営している会社なら、後輩たちを優先的に採用したいと考える経営者は多いはずです。

古俣氏: 私も同感です。今後の展望としては、多摩大学の同窓会ネットワークをもっと活用して、在学生へのメンタリングや講演などの機会も作れればと思います。私たちの経験が、これから社会に出る学生たちの役に立つかもしれません。

田坂会長: 同窓生のデータベースのようなものがあれば便利ですね。「この業界ならこの先輩に相談してみよう」といった形で、自然とネットワークが広がっていくと思います。まずは私たちのような上場企業経営者の集まりから始めて、徐々に広げていければと考えています。

青柳氏: 記者などにアプローチして、「多摩大学出身の起業家マップ」のようなものを作ってもらうのも面白いかもしれませんね。野田一夫先生の思いがまだ生き続けているという証明にもなると思います。

グローバルセキュリティエキスパート株式会社 https://www.gsx.co.jp/
ピクスタ株式会社 https://pixta.co.jp/
株式会社ピーバンドットコム https://www.p-ban.com/corporate/